素粒子

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水川×金子




梅雨も終わろうというのに、 変わらず空は昏く重い灰白色の雲に覆われていた。 そこに紛うことなく一筋の、 ただ一筋の白煙が天を目指すかのように真直ぐ立ち上っていた。



ごらん。
あれが人の成れの果てだよ。



悼むでもなく恨むでもなく。 なんの感慨も察せられない平坦な口調で水川は言うのだった。 あの男が自ら命を絶ってから、水川は気がつけば空を見ている。正確に言えば見ていない。空など見えてはいないのだ。 金子はそれをいささか辟易しながら眺めていた。遠く。どこまでも遠く、はかない。 この男のそんな顔などついぞ見たことがなかった。 それで気がついてしまった。水川があの男に寄せる感情は純粋な懐旧などというものではなかったのだと。 知らなければよかったのやもしれない。けれど知ってしまった偶然を悔やむほど自分は、 この男の、かの小説家でない部分には頓着していないはずだった。 幾度も色事を重ねておいて不自然だとは思うが、間違っていないと思うあたりが我ながら救いようがないと自嘲した。







おそらくこの男にとって、こういう心理下でのこういう行為は理由をもたないことが重要なのだろうと、 背後から伸びる手に胸肌を弄られながら、その手の持ち主を金子は思う。ただ快楽を共有して、 その先に果てがあるというだけでいいのだ。 寄る辺なく人肌を恋しがり、その人肌が自分である意味が判然としなくとも、 それはそれでなにも言うことはなかった。 しかし、こういつもいつもいいようにされながら、どうして自分はこの男を赦しているのだろうと不思議に思ってはいる。 水川は腕の中に収めた金子の髪を気味が悪いほど優しい手つきで梳ると、くすくすと笑った。 これからの行為にそぐわない、色気も含みもない、まるで体温を感じさせない笑声だった。 水川はその細く筋張った指先で金子の、項に落ちる髪を退ける。現れた膚に唇を押し付けた。思わずひくりと肩を強張らせると 背後から顎先をすくった。水川の唇は金子のそれに重なる寸前で、またくすりと動いた。
「君、今日はなんだかおとなしいね」
「悪いか」
「いや……ありがたいと思ってね」
騒ごうが暴れようがどうせすることは同じだろうに、と言ってやりたかったが、 そんな軽口も今日は叩く気がおきない。口を塞いでくる水川の唇がかすかに震えていて、 ただそれだけなのに泣きそうになったからだ。なぜかと問われても答えられやしないが、 心筋を鷲掴みされるようなそれは確かに知っている情動だ、と金子は頭の片隅で思った。



金子は水川の二本の脚の間に顔を埋めていた。 これから自分の身を刺し貫くであろうものを、自ら育てている。 なんと自虐的なことか。そう思いながら、最近はそれに悦楽を感ずるのだから抗いはしない。 ときおり口を離して視線をあげた。眉根を寄せ、詰めた息を堪えきれずといった風に吐き出すこの男の顔は淫らに美しく、 たまらなく情欲を煽るのだ。 けれど今日はどうにも勝手が違った。一向に兆しが見えない。 やっと熱らしい熱を粘膜に感じても、それが他人の熱以外のなにものでもないことを思い知らされるだけだった。 どこまでいっても溶け合うことのない、他人の。やっていられない。なげやりな所作でそれから顔を離し 濡れた唇を手の甲で拭っていると、水川は金子の後ろ髪をやんわり掴み上向かせ、眼を覗き込んできた。
「ごめんよ」
「どうして謝る」
「うん………ごめん」
言って水川は眼を細める。ひたすら穏やかで静かな笑みではあったけれど、 それはどこか狂人じみていて。薄ら寒いと思いながらも金子は視線をそらすことができなかった。 水川の手が伸び眼前に迫る。閉じることを強いられた目蓋の上では指先が眼球をなぞっていた。