お代は見てのおかえり (3)

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小早川と塁 11/6 

欠けているところがないか確認をしながら、洗い終えたカップを布きんで丁寧に拭う。 配置を考えながら棚に並べる。総柄ものは個性がぶつかり合うので、なかなか難しい。 ドリッパーにお湯を注ぐと立ち上る芳醇な香りに鼻を寄せる瞬間も好きだけど、 こうして、どちらかといえば脇役の器たちを愛でる時間も違わず好きだ。
「……やっぱり、これかな」
さっきから赤面したと思ったら辛気臭いため息を溢し、とうとう頭を抱えた客のために、 ちょこんと愛らしく鎮座して出番を待っているカップに手を伸ばす。 陶器のそれはシンプルな赤絵で、丸いフォルムなのに座りがいいところが気に入って購入した。 フィルターに粉をセットして湯を注ぐ。 湯気の向こうでは客が頬杖をついて遠い目をしている。ああ、鬱陶しい。なにかあるなら、さっさと言えばいいのに。 そんなことをさらっと思ってしまう自分に苦笑する。ここはいつからお悩み相談所になったんだろう。 といっても、元ホストとその若い恋人と、あと大学生がふたりの四人に限ったことで。 最近は俺も巻き込まれつつあることを苦に思うどころか、傍観者として楽しんでいたりする。 こちらから切り出してやってもいいけれど、ここで慌てちゃいけない。 マンデリンブレンドは苦味が強いから、まったりとしたコクを出すために、ゆっくりゆっくり抽出する。 サーバーに溜まり始めたコーヒーを眺めながら、今度はどんな相談事だろうかと、ちょっとだけわくわくしていた。



コーヒーの用意が出来て手招きすると、小早川さんは渋々といった風でこちらに向かってきた。 まったく。聞いて欲しいという気配をあれだけ漂わせておきながら素直じゃない。 というところが、たぶん可愛いと思っているんだろうな、蒼井くんは。
「さて、聞こうかな」
カウンター越しに対面して言うと、小早川さんは一瞬唖然として、すぐにばつが悪そうにそっぽを向いた。
「……なんもねえよ」
「ふうん……なら、いいけど」
腰を降ろした小早川さんは尋問はまっぴらご免だとでも言いたげに、早々にカップに口をつけた。俺はじっと反応を待つ。
「うん……美味い」
「でしょ?」
自慢げに笑みを浮かべた。もともとカフェインには疲労回復やリラックス効果があるから、 単純な小早川さんなら口を開きやすくなるんじゃないか、と企んでいたりいなかったり。 小早川さんは、ソーサーの上に戻したカップを見詰めていた。口元が綻んでいる。
「このカップ、お前に似合わず素朴で可愛らしいのな……なんか和むわ」
「似合わず、ってのは余計だよ」
「だってよ、今まで俺に出してたのって、ブランドがどうのプレミアがどうのって。 気取ったやつばっかだったじゃねえか」
それだって新進気鋭作家の、そこそこ値が張る作品なんですけど。小早川さんの前ではなんだか有り難味も薄れる気がする。
「客に合わせて選んでるからね、俺が持ってる小早川さんのイメージってそんな感じなんじゃない?」
「……なんとなく嬉しくないぞ、それ」
そう言った小早川さんは、おもむろに首の後ろを掻いた。覗いた首筋に桜の花びらのような紅い跡。 キスマークだ。俺はほくそ笑む。こんな面白いものを見つけて黙っていてやるほど、俺は優しくない。 それに、なにか切欠が欲しかったのは小早川さんも同じだろうし。
「若い恋人に付き合うのも楽じゃない、とか?」
「……はあ?」
「見えてる」
「なにが?」
「キスマーク」
「えっ、ええっ!」
にやりと笑って言ってやったら、小早川さんは目を見開いて。がばっと両手で首筋を隠すように押さえた。 その慌てっぷりが可笑しくて俺が声をだして笑うと、小早川さんはほのかに赤らんだ顔を伏せた。
「……はあ……マジかよ……」
「なに?そんなの、べつに気にすることないでしょうに」
「気にするっつーの!」
「昔だったら見せて歩いてたくらいじゃない。同伴のときなんかさ。ホストのステイタスっていうの?」
「俺はンなことしてねえよ!…………知らないうちに、似たようなことはしてたかもしらねえけど……さ」
小早川さんは擬似恋愛とか綺麗なことを言ってるけれど、ホストは所詮商品だ。 見た目が良ければそれに越したことはなく、そこに飽きさせない話術や紳士的なエスコート、セックスのテクニックといったオプションをつけて叩き売る。 「一山幾ら」から抜きん出るために、 自分の商品価値を上げるために、客の購買欲を高めるために。嫉妬心を利用して煽るような真似もした。 やることやっといて今更、罪悪感かなんなのか、小早川さんは言葉尻を細くした。 俺は肩を竦める。小早川さんはいい人すぎる。これほどお人好しで、他人を蹴落とすことを好まない人間の写真が、 人気店のナンバーワンに飾られることがあったなんて、今も信じられない。 ……と、そろそろ話の方向を修正しないと。 身体のほうはともかく、心のほうは絶好調なはずの小早川さんが見せる、らしくない表情の翳りの原因が蒼井くんであると仮定して。 その彼がドアを開けて入ってきてもおかしくない時間だった。
「で、なにがあったの」
「なにって……べつに」
「ほんとに煮え切らないな。蒼井くん、もうじき来るよ」
「あ、それは困る」
「ははっ、やっぱりそこか」
「うっ……むぅ…」
してやられた、と言わんばかりに頬杖をついた手で口を覆い隠し。小早川さんは黙り込んでしまった。けれど、その沈黙も長くは続かない。 やがて気まずそうに口を開くんだろう。 ああ、と俺は胸の中で妙に納得している。この人……ちょっと嗜虐心を擽るというか、からかってみたくなるというか。 困ってへの字にした口とか歪めた眉とか。なかなかそそられる表情をすることに気がついた。 残念ながら俺はそっちの方面に興味がないので、だからどうだ、ということはないけれど。
「……一線越えた……っつーか」
「一線って、身体の関係ってこと?」
「んなもん、とっくに超えちまってるよ」
「うわ、臆面もなく言うな」
「……ああ、くそぅ!…………こんなこと、お前だから言うんだぞ」
それは暗に他の人間には黙ってろということだろうか。それほど後ろ暗い悩みなんだろうか。 小早川さんには申し訳ないけれど、そんなに念を押されたら、ますます期待が高まってしまうじゃないか。 我ながらいい性格してるなと思いながらも、俺は先を促すように頷いた。
「良すぎて落ちた」
「……は?」
「セックスんときに……気ぃ失った……んだよ」
「ああ……それは確かに男としてのプライドはちょっと傷つくかもね」
同情する顔を見せつつ、これはもしかして単なる惚気じゃないか?と内心首を傾げたけれど。すぐに違うと思い直した。 惚気ならこんな回りくどい言い方をしないだろう。 この人は誰かを好きだという気持ちや、好かれて嬉しいという気持ちを隠したりしない。 良く言えば正直で、悪く言えばあけすけな人だから。
「まあ、いいんだ、それは……それより、さ」
「うん」
「そんとき……前、触ってなかったんだよな……」
「……え?……ええっと、それは……本当に、まったく、触ってないってこと?」
俺はなにを聞き返しているんだろう、それも鸚鵡返しに近い。 けれど当事者にしてみればかなり真剣な悩みなわけで、情けないなんて言ってられない。
「そ……ぜんっぜん、まったく弄ってない」
「ってことは、つまり」
露骨に言えば「後ろに突っ込まれて、その刺激だけでイッてしまった」ということだろうか。 さすがにその悩みは想像の範疇を超えていた。どう言えばいいか、いやそれ以前に、 どう反応したらいいのかすらも判らない。ただ、小早川さんの口調はとても静かで。 会話の内容に反して、やけにしんみりとしていたから。 それが揶揄したり笑い飛ばせる類のものでないことがはっきりと窺い知れた。
「所詮、他人事だから言えるんだろうけど」
前置きをして、俺は核心に迫る。どうやら雲行きが怪しくなってきた。小早川さんが真剣ならば、俺も腹を括らなきゃいけない。
「そんなに深刻になるほどの悩みかな……男同士ならそういうこともあるって、最初からちょっとは判ってたでしょ」
「それはもちろん…つうか……いや……違うんだ、そういうことじゃなくて」
そう言って小早川さんは俯いた。緩いウェーブが掛かった髪が頬に落ちる。薄く笑った顔が少し淋しげに見えた。
「俺な……正直言うと、こんなにセックスに嵌るのって初めてでさ……格好悪ぃよな……年甲斐もなく溺れてんだよ……蒼井に」
「いいじゃない、好き合ってるんだからべつに」
「そう簡単なもんでもなくってさ……どうしようって不安になった」
やがて顔を上げると小早川さんは、随分と長い時間をかけて息を吐いた。 色恋事に苦悩する人間というよりは、くたびれた大人の色気があった。どこか達観してしまったような。 こういう顔をした人を、俺は前に見たことがある。
「蒼井じゃなきゃダメだ蒼井なしじゃ立ってられない……んなことになったら」
見たのは誰で、何処でだったろう、と思い巡らせる余裕はなかった。 小早川さんは噛み締めるように言葉を紡いでいくから、俺はその一言一句を漏らさないように耳を欹てていないとならない。
「縛っちまう……あいつを」
少しだけ重い口調で言ったすぐ後、困ったように笑う。くしゃっとさせた目じりが下がって、 垂れ目がますます救いようがなくなってるよ、小早川さん。
「ほら、蒼井ってバカがつくほど真直ぐだろ?」
声のトーンを上げて言う。正午少し前の日光が高い位置から差し込んできて、小早川さんの身体を照らしている。 もうひとつ、観葉植物の鉢植えを置いたほうがいいかもしれない。
「でさ、ぼーっとしてるくせに案外、頑固なんだぜ」
諦めが纏わりついているような小早川さんのもの言いにいい加減嫌気が差してきて。 無理して作った笑顔は、見せられる側も結構胸が痛いのだと、誰かこの人に教えてやってくれないかな。 俺はドアの方を見ながら、切実にそう思った。